津城跡
織田信包(おだ のぶかね)が創築し藤堂高虎が大改修した三重県津市の津城跡を紹介しています。
写真は、復興された角櫓の三層の白壁です。
場所:三重県津市丸之内27 西丸之内
入口付近案内板によると、
「織田信長の弟、織田信包によって天正8年(1580年)に築城されたお城。
関ヶ原の戦いの前哨戦で西軍の攻撃を受け荒廃した。
慶長16年(1611年)に、藤堂高虎公が四国伊予の今治(愛媛県)から移り、北側の石塁を高く積み直した後、その東北と西北の両すみに三重の櫓を作るなど大改修を行った。
明治維新まで津は32万石の城下町として栄えてきた」と掲載されていました。
明治の終わり頃になって外堀が埋められたそうです。
現在では、本丸・西の丸・内堀の一部を残すのみとなりました。
角櫓の三層の白壁側から入ると開けた噴水広場があります。
藤堂高虎公像は、この噴水広場に置かれていました。
噴水広場を奥に進むと日本庭園が有りました。
庭園には、写真の様な門、これは、「入徳門」津市指定史跡となっています。
案内板によると、文政3年(1820年)、津藩主十代藩主藤堂高兌によって創設された藩校有造館の講堂正門として建てられた物だそうです。
藩校有造館が廃校になった後もいろんな教育施設の正門として使われてきたようです。