三重あんなこんな見聞録

 
Home_Topあんなこんな情報三重あんなこんな見聞録斎王Back
 

斎  王

スマホ対応ページ
 

◆斎  王◆

天皇に代わり伊勢神宮に仕えるため、天皇の即位とともに、占いによって選ばれた未婚の皇女です。

◆斎王制度◆

歴史は大変古く飛鳥時代の天武天皇の頃から南北朝時代の後醍醐天皇の頃までおよそ六百六十年の間続き六十四人の姫君が遣わされました。

◆ト定(ぼくじょう)◆

新しく天皇が即位すると斎王も新たに選ばれます。

この斎王を選ぶための占いをト定といいます。

神の意に適う者であるか否かが確かめられました。

◆初斎院◆

ト定により選ばれた斎王は、宮中の初斎院にて、一年間の精進潔斎の日々を送り、神に仕える修行をします。

◆野宮(ののみや)◆

初斎院に続き京外の浄野に置かれた野宮で、二年間の精進潔斎の日々を送ります。

◆群行(ぐんこう)◆

斎王は、選ばれてから三年にわり心身を浄める日々を送ります。何事もなければ三年目の秋に、京都の野宮(ののみや)を出発します。

斎王は、桂川で身を浄め、平安宮に入り、天皇に出発の挨拶をします。天皇から別れの小櫛(おぐし)と言葉をいただいて、いよいよ伊勢へと出発します。

斎王は、輿に乗り、頓宮(とんぐう)と呼ばれる仮の宿に泊まりながら、全行程約140kmを5泊6日をかけて斎宮(さいくう)をめざしました。この時の行列は、斎王に仕える役人、身の回りを世話する女官など500人余りの大規模な行列となり「斎王群行」と言いました。

 
 

◆頓宮(とんぐう)◆

群行のため作られた宿舎で、勢多(せた)頓宮、甲賀頓宮、垂水頓宮、鈴鹿頓宮、壱志(いちし)頓宮です。

現在では、残念ながら何処に有ったかもわからない状態です。

◆斎王の日々◆

最も重要な仕事は、六月、十二月の月次祭と九月の神嘗祭に伊勢神宮へ参拝することであった。

斎宮においては、毎月忌火祭・庭火祭などがあり斎宮を清浄に保つための祭祀が常に行われた。

このように清浄さを必要とした生活は、言葉使いにも現れた。寺・仏といった仏教を表す言葉は「瓦葺き」「中子」、血や死といった不浄な言葉は「阿世」「奈保留」と言い換えた。このような言葉を「忌詞」と言った。

斎宮での日々の斎戒は極めて厳しいものであったが、五月五日や七月七日といった節会や年中行事は、都と同じように行われ、また毎日の暮らしの中では、美しい十二単を身にまとった女官たちとの貝合わせや歌合わせが催されたりした。

◆斎王の晩年◆

天皇の譲位や崩御によって退下した斎王たちのその後を伝える史料はあまりない。

退下後に天皇に嫁いだ井上内親王や微子女王、そして臣下に嫁いだ雅子内親王などは特別な存在であり、その多くはごく普通の皇女として静かに人生を終わったとされている。

隆子女王と惇子内親王は生きて再び都の土を踏むことができませんでした。

◆斎宮歴史博物館◆

斎宮は永く”幻の宮”とされ、その実態は解明されていませんでしたが1970年三重県多気郡明和町の発掘調査をきっかけとして存在が明らかになってきました。その発掘現場に建てられたのが「斎宮歴史博物館」です。出土した実物と画像を利用し、斎宮と三重県の歴史をビジュアルかつリアルに展示されています。

場所・・・三重県多気郡明和町竹川503   電話・・・0596-52-3800